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教授法上の基本的経験への再考
O.F.ボルノウ著
岡本英明訳
価格: 2,300円+税
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商品の紹介
T章 現代教育学における練習の軽視 1 学校と生活における練習 2 軽視の理由 3 練習の復権
U章 言語上の予備考察 1 言語使用からの出発 2 語史からの示唆 3 根源への回帰 4 礼拝的行動の本質特徴
V章 練習の「場所」としての実践 1 知識と能力 2 課題の分離 3 例としての判断力
W章 能力 1 言語史的な背景 2 ヨーゼフ・ケーニヒにおける、ますます良く出来ることへの意欲 3 ヴォルフガング・クロウクにおける無能力の優位 4 マルティン・ハイデガーにおける(存在可能)
X章 練習 1 練習の二つの形式 2 本来の意味での練習 3 教授法的な尽力の限界
Y章 出来のよさ 1 完全な能力への喜び 2 例として、リルケにおける詩的能力 3 遂行の出来のよさ 4 出来のよさの可能性における区別 5 もう一度リルケ 生活と愛の能力 6 練習によって達成され得る能力という言い方の可能性の限界 7 能力の有効性
[章 練習における心的状態 1 練習の成果への前提条件 2 フリッツ・ローザにおける練習による精神集中の促進 3 問題設定の拡大 正しい生活への道としての練習
[章 古来の日本文化における練習 1 練習の高い評価 2 弓術についてのオイゲン・ヘリゲル 3 デュルクハイム伯爵における練習の機能 4 我々自身の問題設定への収穫
\章 内的自由 1 完成された練習における無我 2 解き放たれた状態 3 ヴィルヘルム・カムラーの場合の根本経験 4 自由の最初の暫定的な規定 5 願望と能力との一致 6 放下 7 時間への関係
]章 内的自由への道としての練習 1 練習の必要性 2 練習され得る術のもとでの選択 3 練習の領域 4 幾つかの例
Ⅺ章 練習と能力との統一 1 実際生活への練習の再帰 2 創造における練習 3 練習と創造との統一の解消 4 分離された独自の練習形式の必要性 5 人間関係における練習の不適切さ 6 実存的なものへの関係
Ⅻ章 教授法的展望 1 マリア・モンテッソーリにおける注意深さの分極化 2 フリードリヒ・フレーベルにおける「美的形式」の遊戯 3 練習の教授法の範囲と課題 4 練習の対象としての術 5 術と科学の対比 6 授業における術と科学 7 体育 練習とトレーニング 8 結語 9 練習の教授法への総括的テーゼ
新版への補遺
監訳者あとがき
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商品の詳細
ISBN: 9784779301889
判型: 四六上
ページ数: 220
ジャンル: 教育
刊行年: 2009年6月25日
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